「逢坂の関やいかなる関なればしげき嘆きの中を分くらん」
■現代語訳
『逢う坂の関』とは、いったいどういう関所ゆえに、生い茂る木々の間をかきわけてこうも深い嘆きを重ねるでしょう。(空蝉)
■鑑賞
空蝉(うつせみ)は、伊予介(いよのすけ)から常陸介(ひたちのすけ)となった夫にしたがい、東国に下っていました。任期が満ちて上洛する常陸介一行が、逢坂の関を越えて京に入ろうとする折しも、 偶然にも石山詣(いしやまもう)での源氏の行列と行き合わせます。 源氏の君にとって、空蝉は今も忘れられない女(ひと)であり、思いもかけぬ邂逅に空蝉の心もあやしく乱れます。昔のことを思うにつけ、今の我が身を思うにつけ・・来し方も行く末も、この涙が止まることはないのでしょう。 空蝉は夫との死別後、継子(ままこ)の河内守(かわちのかみ)の懸想に、女の宿世(すくせ)をはかなみ、出家して尼になりました。