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源氏物語【24】はたらく女たち〈後〉

【24】はたらく女たち〈後〉


女房は女性官僚〈後〉



◆本名を呼ばない女官たち

紫式部や清少納言といった呼び名は
宮仕えする際の女房名で、本名ではありません。

紫式部ははじめ藤式部(とうのしきぶ)と呼ばれていましたが、
『源氏物語』の作者だというので紫式部に替えられました。
ご存じのように『源氏物語は』紫が主要テーマになっています。
「式部」というのは父親が式部卿(しきぶのきょう)だったから。

清少納言の「清」は父親の清原の姓からとっています。
「少納言」は宮廷の職名ですが、もちろん本人のことではなくて
身内のだれかが少納言を務めていたのか、
それとも単なるニックネームだったのか。

女孺たちは出身地の名前で呼ばれていたといい、
相模(さがみ)、近江(おうみ)、筑紫(つくし)などが
そのまま職場での呼び名だったようです。

人名、ことに女性の名前は実名を使わず、通称が用いられていました。
宮仕えをしていない女性であっても
大い君(長女)、三の君(三女)などと呼ばれ、
家族のあいだでも実名で呼ぶのはまれでした。

人の名前には魂が宿っており、
実名を悪霊(もしくは悪人)に知られると
わざわいを招くという考えがあったようです。

東アジアでは昔から実名を呼ばない慣習がありました。
中国では皇帝の実名は口にしてはならず、
その文字も使うことが避けられた時代があります。
実名を避ける日本の習慣も、その影響だったのかも知れません。


◆女房は顔を見せる職業

前話で貴族のお嬢さまは人に顔を見せないと書きましたが、
宮仕えをしたら部屋にこもっているわけにいきません。
同性はもちろん、男性にも顔を見られてしまいます。

清少納言はそれでも宮仕えして見聞を広めるのがよいといい、
外ではたらく女性を悪くいう男性を
「いとにくけれ」と嫌悪しています。

いっぽう『紫式部日記』にはこんなくだりが。

───────────────────────────────
かうまで立ち出でむとは思ひかけきやは
されど目に見す見すあさましきものは人の心なりければ
今よりのちのおもなさは たゞ馴れに馴れすぎ
ひたおもてにならむもやすしかしと
身のありさま夢のやうに思ひつゞけられて…
───────────────────────────────
これほどまで人前に出ようなどとは考えたこともなかった
しかし見る見るうちにあきれるほど変わるのが人の心だから
この先の厚かましさは ただすっかり馴れすぎてしまい
人と直接顔を合わせるようになるのも簡単なことだろうと
自分の身の上が夢のように思われて…


人に顔を見られるのが平気になってしまうのが怖いと、
紫式部は考えていたのです。
ずいぶんとらえ方がちがいますね。


今月の☆光る☆雑学

【女性の名前】

紫式部の本名は不明ですが、娘は藤原賢子(ふじわらのかたこ)。
女房クラスで名前のわかっているめずらしい例です。

百人一首で知られる儀同三司母(ぎどうさんしのはは)の
本名は高階貴子(たかしなのきし)といい、
のちに一条天皇の后となる定子(ていし)を産んでいます。
清少納言が仕えていたのが定子でしたね。

紫式部が仕えたのは彰子(しょうし)。
「子」のつく名前ばかり挙げましたが、
鳥羽天皇の皇后は璋子(しょうし/たまこ)、
崇徳天皇の皇后は聖子(せいし)といいました。

この時代は内親王にも「子」のつく名前が多く、
「子」が主流だったのかも知れません。