【25】葵 祭
今回は京都の初夏を彩る葵祭のお話です。
◆祭りでも主役の光源氏
京都の初夏の風物詩、葵祭(あおいまつり) は
賀茂別雷(わけいかずち)神社=上賀茂神社と
賀茂御祖(みおや)神社=下賀茂神社で行われる例祭です。
賀茂祭(かものまつり)ともいうのですが、祭りに参加する人々が
そろって葵の蔓(かずら)を身につけるため、葵祭と呼びます。
岩清水祭、春日祭とならぶ三大勅祭(ちょくさい)。
勅祭とは天皇の命によって催される祭りという意味です。
平安の昔から、その行列は華麗を極めたものでした。
賀茂川で禊(みそぎ)をした斎王が、着飾った勅使たち、
東宮や中宮の使いとともに上賀茂、下賀茂両社に参向します。
通りは多くの観衆で埋め尽くされ、たいへんな賑わいだったそうです。
『源氏物語』で葵祭が出てくるのは、その名も「葵」の巻。
新帝の宣旨によって大将の君(光源氏)も参加することになり、
今をときめく超イケメンセレブを一目拝んでおこうと
一条大路(いちじょうおおじ)には例年以上の大群衆がつめかけます。
おほよそ人だに今日のもの見には 大将殿をこそは
あやしき山がつさへ見奉らむとすなれ
遠き国々よりめこを引き具しつつもまうで来なるを
御覧ぜぬはいとあまりも侍るかな
どうということもない人でさえ今日の見物には
まず源氏の大将さまを 賤しい田舎者までが拝見しようとしています
遠くの国々からも女子供を引き連れてやって来るといいますのに
ご覧にならないのはあんまりではございませんか
侍女たちにせがまれた源氏の正妻、葵の上は、
懐妊中の身ながら見物に出かけることにします。
これが有名な「車争い」の発端です。
◆怨恨を生んだ車争い
祭りの見物には源氏の年上の愛人
六条の御息所(みやすどころ)も来ていました。
しかし御息所の車は葵の上一行の車に場所を奪われてしまい、
供の男どもに悪口まで言われる始末。
見物さえできず、御息所のプライドは傷つけられます。
影をのみみたらし川のつれなきに 身のうきほどぞいとど知らるる
御手洗川でお姿だけは見たけれど
あの方のつれなさにわが身のつらさをいっそう思い知らされます
源氏はのちに車争いのいきさつを知りますが、
御息所の傷心をていねいにケアせず、
事態は思いがけない方向へ展開していきます。