【32】世をはかなむ貴族
今回は平安貴族と仏教の関係についてです。
◆生活に入り込んだ平安仏教
『源氏物語』では「藤裏葉」の巻に
光源氏が六条院で灌仏会(かんぶつえ)を行ったとあります。
これは4月8日、釈迦生誕を祝って清涼殿で行われる宮中の行事です。
生まれたばかりのお釈迦さまの像に
甘露に見立てた甘茶や五色の水をかけるもの。
平安時代には貴族の私邸でもこのような仏教行事が行われたようです。
仏教は渡来当初は国家と結びついていましたが、
平安時代になると個人の領域にまで広がり始め、
貴族たちの中にも熱心な信者が現われるようになります。
宇治にあった藤原道長の別邸を長男頼長(よりなが)が寺に改め、
平等院としたのが1052年、ほぼ紫式部の時代にあたります。
仏教に帰依する貴族が増えると、財力のある人々は
みずから寺院を建立してまで後生を願うようになっていたのです。
源氏の灌仏ばかりでなく、
玉鬘の長谷寺参詣、紫の上の法華経千部供養など、
『源氏物語』には仏教に関連する場面がたびたび描かれています。
石山寺や長谷寺が出てくるのは観音信仰の反映で、
両寺院は貴族の参詣した代表的な観音寺院だったからです。
◆貴族の出家
貴族の出家者が多くなったのも平安時代中期から。
寺院の中枢はそれら貴族出身者で占められるようになり、
出家以前の身分が寺院でもものを言うようになってしまいました。
政争の舞台となることさえあり、出家はしたものの
世俗とあまりちがわない日々を送る例も少なからず。
また世事を離れて静かに暮らしたいというので出家する人もありました。
源氏は晩年に出家の準備を始めますが(幻)、
その動機は仏道を学びたい、修行をしたいというより
遁世(とんせい)の思いが強かったのがうかがえます。
遁世は世間を逃れることをいい、貴族たちは
その方法の一つとして出家を選んだのです。
『源氏物語』では藤壺、秋好中宮(あきこのむちゅうぐう)や
紫の上などの女性が、出家したり出家を望んだりしています。
女性が悩み多きこの世から逃れるには、尼僧の姿になって
俗世間との縁を切るしかなかったのかも知れません。
最も印象的で涙を誘うのは浮舟(うきふね)の出家でしょうか。
失踪した浮舟は放浪の末に比叡山の僧たちに発見され、
かれらに懇願して出家を果たします。(手習)
浮舟は薫と匂宮(におうのみや)の
執拗な恋慕に悩んで死を決意していました。
しかし出家によって浮舟は命をながらえ、
毅然として生きる術(すべ)を手に入れたのです。
貴族女性が出家によって救われた好例といえます。