【35】生命の誕生
今回は平安時代の出産のお話です。
◆出産当日は大騒ぎ
最近はテレビの時代劇でも出産シーンが描かれるようになったので、
座産(すわりざん)のようすがよくわかります。
平安時代の出産も同じように行われ、
貴族の場合は妊婦の身体を後から支える人、新生児をとり上げる人、
後産を処理する人など、数人の侍女がつきました。
葵の上の出産場面にもあるように、
部屋の外では物の怪(もののけ)が邪魔をしないよう、
大音声(だいおんじょう)で加持祈祷がつづけられます。
また弓の弦(つる)を鳴らして悪霊や邪気を追い払う
「弦打ち」も行われたそうです。
「夕顔」の巻で源氏が随身に命じているのがそれです。
祈祷の大声と弓の弦のブンブンうなる音とで
緊迫感のただよう、というより騒がしい環境で、
妊婦は出産のときを迎えたわけです。
◆七つまでは神のうち
生まれた赤ちゃんはいきなり儀式の連続でした。
産湯を使う「御湯殿(おゆどの)の儀」、三日目から九日目までの
奇数の日に催される儀式と宴会「産養(うぶやしない)」、
50日経つと「五十日(いか)の祝」、100日後の「百日(ももか)の祝」。
どうしてこんなに儀式が多いのか。
ひとつには無事に育っていくことへの願いであり、
もうひとつは赤ん坊を社会的に認知してもらうお披露目の
意味があったからと思われます。
最初のうちは身内だけの儀式ですが、
次第に広範囲の人々が招かれるようになるからです。
50日無事に育ちましたよ、100日間大丈夫でしたよという
報告の意味もあったことでしょう。
民間でいわれていた「七つまでは神のうち」というのは
生れて7歳までの子どもは、まだこの世のものと決まっておらず、
いつあの世に行ってしまうかわからないという
意味を含んでいたといわれます。
『紫式部日記』には
中宮彰子の出産前後が記録されています。
それによると、皇子の五十日の祝は室内の調度から料理、
参列者の衣裳までとても立派なものだったようです。
皇子の祖父、道長には待ちに待った男児誕生。
手を抜くはずがありません。
しかし喜び余ってか、最後は飲めや歌えの大騒ぎ。
泥酔した道長を怖がって式部は御帳の陰にかくれますが、
見つけ出されて無理やり歌を詠ませられます。
その歌というのは
いかにいかが かぞへやるべき八千歳のあまり久しき君がみよをば
今日は五十日(いか)のお祝い 宮様の何千年もの長いお歳を
いかに数えたらよろしいのでしょう
ダジャレを入れて大げさな歌を詠んだ…わけではありません。
じつはこれ、五十日の祝の約束ごとで、
必ずだれかが長寿を願う和歌を詠むことになっていたのです。
こういうところにも和歌が出てくるなんて、
さすが平安貴族ですね。