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【55】野分のあとに


今回は台風にまつわる習慣の話題です。



◆貴族男子のマナー


紫式部の同僚だった赤染衛門(あかぞめえもん)に
このような和歌があります。


あらく吹く風はいかにと 宮木野の小萩がうへを人のとへかし
(新古今集 雑 赤染衛門)


吹き荒れる風のぐあいはどうだと
小萩(=子ども)のようすを気遣ってはいかがかしら

野分(のわき)の翌朝、
子どものようすを見に来ようともしなかった男(=夫?)に贈った
ストレートな恨みの歌です。
宮木野(=宮城野)は萩の名所で歌枕。
この場合は「小萩」を導いており、「小」は「子」をかけています。

相模が恋人に贈ったこの歌も
やはり野分のあとに詠まれたもの。


あらかりし風の後よりたえぬるは くもでにすがく糸にやあるらむ
(金葉集 恋 相模)


野分のときお見舞に来てくれたきりなのは
蜘蛛が巣を作る糸のように(四方八方に)思い人がいるからなのね

野分のとき、大丈夫かといって訪ねてきてくれた男が、
その後は手紙さえもくれない。
嵐の後は蜘蛛が巣を作るのをよく見かけますが、
あなたには蜘蛛手みたいにあちこちに女がいるのだろうというのです。

野分や大雨などのときに親しい人のもとを訪れるのは
貴族男子の常識、欠かしてはならない礼儀だったようです。
『源氏物語』の「野分」はまさにそのようすを描いたもの。
光源氏と息子の夕霧は六条院の女君たちを見舞い、
ことに夕霧は祖母の三条院に泊まるなどやさしい心遣いを見せています。


◆風に弱い貴族の邸宅


野分は野の草を分けるほどの風という意味で、
秋に吹く暴風、強風を指します。
まだ台風という言葉はありませんでしたが、
野分はほぼまちがいなく台風を指していたと考えられます。

平安貴族の邸宅は寝殿造りでした。
今の住宅のような壁を持たず、
間仕切りさえほとんどなかったので、
風は建物の中を通り抜けていきました。

夏の盛りには涼しかったのでしょうが、
冬は寒風が吹き込み、野分ともなれば
強風が几帳や燈台をなぎ倒し、室内に雨が吹き込みました。

絵巻を見ると、女房たちが
風をはらんだ御簾(みす)や几帳を手で押さえています。
文中に屏風をたたんであったとあるのは、
倒れて傷つくのをふせぐためでしょう。
しかしその程度で野分の猛威に対処できないのは明らかです。

そこに男が従者とともに見舞いに行ってもなす術はないのですが、
片付けや修復の指示を出すことはできました。
手紙だけの見舞いで済ます男よりよほど心強かったことでしょう。
ところで紫式部は長保2年(1000年)、
鴨川の堤が決壊するという大水害に遭っていました。
「野分」の巻の緊張感のある描写は
その体験が活かされているのかもしれません。