【58】持つべきは娘なり
今回は娘を欲しがる貴族の事情について。
◆内大臣の嘆き
「乙女」の巻で光源氏は太政大臣となり、
大将(かつての頭の中将)は源氏の後を継いで内大臣に昇進します。
親友同士が国のトップとナンバー2になったわけです。
昇進の祝宴が果てて暇のできた内大臣は母(大宮)のもとを訪れ、
親子で和琴(わごん)を弾きながら語らいます。
時雨降る夕方、なんとも風流な場面に見えますが、
話題は生々しいものでした。
内大臣は娘の弘徽殿女御(こきでんのにょうご)を
冷泉帝に入内(じゅだい)させていたのですが、
源氏が後から入内させた梅壺(うめつぼ)女御に
后(きさき)の座を奪われてしまいました。
次に内大臣は雲居雁(くもいのかり)を東宮妃にと考えますが、
源氏方の明石の姫君がライバルになるのではと不安でなりません。
内大臣の嘆きを聞いた大宮はこんなことを言っています。
この家にさる筋の人いでものし給はで止むやうあらじと
故大臣の思ひ給ひて 女御の御事をもゐたちいそぎ給ひしものを
おはせましかばかくもてひがむる事もなからまし
この家からそのような人(=后になる人)がお出にならずに
終ることはなかろうと亡くなった大臣はお思いになって
弘徽殿女御の入内も熱心に準備なさっていましたものを
生きておられたらこんなつらい目に遭うこともなかったでしょう
故太政大臣が生きていたら、
源氏に出し抜かれることもなく思惑通りに進んだだろうというのです。
◆お后候補を育てる
皇后、中宮、女御となる女性が内裏に入るのを
入内(じゅだい)といいます。
天皇の婚姻を意味するものなので、儀式は威儀を正した盛大なもの。
故太政大臣はその準備に余念がなかったのでしょう。
女御は天皇の寝所に侍る女官のこと。
光源氏の母は女御の下に位置づけられる更衣(こうい)でした。
もともと天皇の衣更えを担当したのですが、
平安時代には天皇の寝所に奉仕するようになっていました。
中宮(ちゅうぐう)はすでに皇后がいる場合の新しい后の呼び名。
実質は皇后と変わりありません。
天皇の正妃(せいひ=正妻)は皇后ですが、
一条天皇は定子(ていし)を皇后とし、
彰子(しょうし)を中宮として二后並立の前例を作りました。
紫式部が仕えていたのは中宮彰子です。
娘が皇后や中宮になるのは上級貴族の夢でした。
娘が天皇の子を産んでその子が天皇になれば
自分は外祖父(母方の祖父)となり、権勢を手にすることができます。
一族も天皇の外戚(がいせき)として繁栄するのです。
源氏は明石の君が女児を産んだのを喜びますが、
将来の后候補が手に入ったからでした(澪標)。
貴族が女の子を欲しがり、熱心に養育したのには
そんな背景があったのです。