【73】舞台に上った源氏物語
今回は歌舞伎と能楽の話題です。
◆意外に新しい歌舞伎の源氏
歌舞伎座の柿(こけら)落とし公演の演目に
《鶴寿千歳(かくじゅせんざい)》という舞踊がありました。
人間国宝坂田藤十郎さんも加わったこの舞踊は
題名どおり「鶴は千年」にちなんだおめでたい演目で、
平安貴族の男女に扮した役者たちが優雅に舞う華やかなものでした。
歌舞伎で平安時代や奈良時代を扱った演目は
王代物(おうだいもの→王朝物とも)と呼ばれ、
《菅原伝授手習鑑(すがわらでんじゅてならいかがみ)》などが
その代表的なところです。
しかし『源氏物語』を扱った演目は意外に新しく、
初めて演じられたのは
なんと昭和になってからなのだとか。
昭和26年に舟橋聖一の脚本で上演された『源氏』は
十一代目市川團十郎が光源氏を演じ、大評判だったといいます。
先ごろ亡くなった十二代目團十郎さんはその数年後、
わずか七歳で、薫の役で出演していたそうです。
十二代目はのちに光源氏を演じ、
現代語訳をもとにした脚本には受け継がれた台詞(せりふ)回しがなく、
いかにも歌舞伎らしい見得を切るような所作もないため、
演じるにはさまざまな工夫が必要だったと述懐していました。
歌舞伎はもともと「傾き」と書いて「傾(かぶ)く」の名詞型。
風変わりなことや目立ったことをする人を
「かぶき者」と呼んだことに由来します。
歌舞伎はそのなりたちからして、
動きの少ない『源氏』を演じるのが難しかったのかもしれません。
とはいえ、今では海老蔵さんが光源氏を演じるようになっています。
親子三代の光源氏が実現しているのです。
歌舞伎ならではの『源氏』の世界がより広く親しまれ、
伝統ある演目として定着していくのはまちがいないでしょう。
◆源氏と能楽
源氏受容が早かったのは能楽でした。
《葵上》《野宮》《半蔀(はじとみ)》の代表的三曲は
室町時代にはすでに成立していたといわれます。
幽玄で妖艶な世界を得意とする能楽ですから、
人間の心理を軸にドラマが展開する『源氏』は
採り入れやすかったと考えられます。
六条御息所(みやすどころ)の生霊(いきりょう)や
怨霊が登場する曲に名曲、人気曲が多いのも、能楽だからこそでしょう。
能楽の源氏は上記のほかに《浮舟》《須磨源氏》《玉葛(たまかづら)》
《夕顔》などがあり、紫式部が登場する《源氏供養》もあります。
どれも登場人物が少なく、怖いものもあって
歌舞伎とはずいぶん印象が異なります。
歌舞伎の「動」と能楽の「静」。
そんな言い方もできると思いますが、
今後もそれぞれの流儀で
『源氏』の魅力を伝えつづけてくれることでしょう。